2003.2.4
「左のルモンド」の面目躍如という論説です。非常に基本的な命題について、敵ながらあっぱれと言えるぐらい、鋭い指摘です。経済社会で人は何のために働き、経済は何のために豊かになるのか。手段を求めて目的をないがしろにしてはいけないと言うもの。経済学的にケチを付けると、動態的(長期的)に考えなければいけないよ、と言うところでしょうが、まあそれまでには死んでしまうと言われればその通りだし・・・。
par Pierre Georges
Patron, travail (2003.2.4)
経営者(パトロン)と労働(トラヴァイユ)
フランス語というのは、社会交渉に於いては本当に恐るべき言語である。二つの言葉を取り上げてみよう。簡単な、現在までしょちゅう使われている、現在もっとも緊急案件である年金引退問題で頻繁に使われている二つの言葉である。
それは「経営者(パトロン)」と「労働(トラヴァイユ)」という言葉だ。今更言葉の意味や用法について説明する必要がないように見える。経営者(パトロン)とは、現代語では、指導者とか、企業家とか、社長とか、上司とか、職人の間では親方などの意味で使われる。ただ古典的な辞書では、パトロンという言葉はラテン語の「パトロヌス」から來ていて、その語源は「パーテル」といい、「父親」という意味であったと書いてあることについて深く考える必要があろう。「保護者」という感覚と「権威」という感覚が混じったものなのである。
しかし「パトロン」には別の意味もある。忘れかかっている言葉であるが、お菓子作りや絨毯製造で使われる意味で、ちょっと古くさいが、同時に非常に現代的でもある意味だ。「型紙」という意味で使われるのである。尊敬すべき、後に続くべきモデルとしてのパトロン(型紙)である。
さて、今度は労働(トラヴァイユ)に移ろう。すべての辞書の編者はこの労働という言葉の説明に多大の労力をかけている。どの辞書でも、労働という言葉は、ラテン語の「トリパリウム」という恐るべき拷問器具から発した、苦痛と呻きの意味を強く持つ言葉であると説明している。用法として、中世ではこの言葉が拷問という意味で使われたとか、近代においても徒弟達がヴァイオリン製作に苦しい労働をするとか、オペラ座では踊り子達が踊って死ぬほど疲れるとかである。
笑ってはいけない。今は深刻な時期なのである。現在繰り広げられている政府と労働組合の間での年金・退職問題での議論を聞くと、この辞書の言葉の定義の重要性が分かる。もし経営者(パトロン)が、字引にあるように聖人アイコンではなく、人間性からの尊敬されず、権威もなく、模範ともならないとしたらどうだろうか。パトロンが規範とするべきモデルからかけ離れていたとしたらどうだろうか。もし、いつもいつも「もっと働け、もっと長く働け、さもないとえらいことになるぞ」と繰り返すだけで、そのえらいことと言うのが労働者にとってのえらいことなのに、労働の価値を貶めることばかり言っていたら、誰も聞く耳を持たないではないか。社会計画とか企業の大規模な再配置とかいって、労働(トラヴァイユ)の尊敬すべき価値を地に落とし、それに付属して労働時間と労働期間を長くしろと言うばかりでは、いったいどうなるのか。
語源学は恐るべきぐらいに頑固である。どんな辞書にも労働とその価値と美徳について、それはそれは偉大なものだと書いてある。いまの時代は、価値という言葉を使う場合、株式市場の価値というだけで労働の価値を無視している。それがすべてのぎくしゃくをよんでいる。労働(トラヴァイユ)という言葉の意味の切り下げが進んだことが悪い。
・ ARTICLE PARU DANS L'EDITION DU 04.02.03
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